ミソジニーとは女性や女性らしさに対する嫌悪のことです。
そのような考えを持つ人のことをミソジニストと呼びます。
女性を嫌悪するといっても性的指向を表すわけではありませんから男性の同性愛者を指す言葉ではありません。
むしろミソジニストは異性愛者に多いです。元々は女好きということさえあります。
ミソジニーの対義語には女性に対する愛好を意味するフィロジニーという言葉があります。
また男性嫌悪を意味するミサンドリーという言葉も存在します。
「女性嫌悪」という言葉通りに理解してはいけない
ミソジニーはギリシア語の「misos(憎しみ)」と「gune(女性)」が語源とされています。
日本語では「女性嫌悪」や「女性蔑視」といった言葉が当てられます。しかしこの意味のまま理解しようとすると本質を捉えることはできません。
確かに女性というだけで嫌う人も数万人に1人くらいの割合ではいるかもしれません。
しかしその場合は脳そのものに原因があると考えられます。
ミソジニーといっても女性に対して異性としての魅力を感じていないということではないのです。
ミソジニストの大前提として「女性は男性に従い奉仕すべき存在であり、自分はそれを受け取る権利がある」という心理があります。
そしてその権利が脅かされたり、そもそも自分レベルの人間ではその権利を持ってさえいなかったということを突きつけられたときに憎しみを抱くのです。
日本社会の家父長制だけがミソジニーの原因ではない
かつて日本社会は父系によって家督を継ぐという家父長制が続いてきました。
その形態の中では女性は男性よりも下の立場であるという価値観が顕示にも暗黙にも培われました。
女性は男性を立てて奉仕すべきという思想が根強く残っている人もいます。
しかしこのような価値観の残滓によってのみミソジニーが生じるわけではありません。
確かに無意識の男性優位といったものが生まれることはあるでしょう。
自称フェミニストの男性が「僕は女性を高く評価しているよ」といった上から目線の態度を無意識に取ってしまうのはこういった価値観の作用といえるかもしれません。
しかし家父長制の価値観だけでは女性に嫌悪感を抱くまでにはなりません。
女性は男性に尽くすべきという家父長制的な価値観にプラスして「自分はその恩恵を受けられそうにない」という絶望感がミソジニーを生み出すのです。
女性を嫌悪する前段階には期待が生じているのです。それが裏切られたことにより怒りや憎しみへと変換されるのです。
「女性っぽい」ものまで許せないのはなぜか?
ミソジニーは女性だけではなく「女性っぽい」ものも嫌悪すると言いました。これは一見矛盾するように見えます。
男性に従順であることを良しとするのであれば女性っぽいものは従順さのシグナルと捉えられそうなものです。
しかしこれには女性から相手にされない男性に特有の思考が関係します。
ファッションを選ぶ基準は男ウケという勘違い
女性が髪型や洋服などのファッションを選択するときその判断基準は自分が好きかどうかです。
しかし服に対する選好(カワイイという感覚)を構成する要素の中にはほんのわずかではありますが異性ウケというものが混じっていることもあります。
これは太古から人間が持つ本能的な部分に関係するものです。
具体的な数字は計算できませんが全体の1%とか2%くらいかもしれません。
ただこの数字というのは男性から見たときにはもっと高く見積もられてしまうものです。
つまりどんなファッションをしていようと男ウケを狙っているのだろうと考えられがちということです。
ミソジニーを持つ男性ほど「男に媚びた格好をしやがって」と感じやすい
ミソジニーを持つ男性ほど「女性っぽい」格好を見たときに男ウケを狙ったものだと考える傾向が強くなります。
「男に媚びた格好をしやがって」と感じやすいのです。
それなら良いのでは?と思うかもしれません。
しかしミソジニーを持つ男性はそれが自分に対してのものではないと分かっています。
自分ではなくもっとレベルの高い男に対して媚びているから「女性っぽい」格好をするのだと思い込むのです。
それによってますます自分の惨めさが増殖されますから憎しみを抱くということです。
男性としての能力が落ちるとミゾジニーに陥る
個人的な話ですが私は怒りや恐怖は抑えることができますが、好奇心だけはどうしても抑えられないので面白い人を見ると後先考えずに質問してしまうことがあります。
何年も前のことですがやたらと女性蔑視な発言をする年配男性がいたので「もしかしてあなたはED(男性機能不全)じゃないですか?」と聞いたら非常に不機嫌になったことがありました。
おそらく図星だったのでしょう。
加齢によるEDは男性の根幹を揺るがすほどショックなことです。そしてオスとしての終わりが見え弱さを思い知らされることになります。
男性機能の低下がセクハラにつながるとき
セクハラをする人の中には男性機能の低下が見られる人が少なくありません。
なぜかというと「俺はまだまだ強いのだ」という反発が生まれるからです。
そしてそれを確認する手段として女性に性を意識させるようなことを言うのです。
それで女性が恥ずかしそうな態度を示せば自分を慰めることができます。
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コンプレックスがミソジニーを生むこともある
セクハラとまで行かなくとも女性を叩くことによって精神のバランスを取ろうとする人はいます。
男性機能の低下だけではなく社会的地位の低さにコンプレックスを抱えている人にも見られる傾向です。
このようなコンプレックスがミソジニーを生み出すこともあるのです。
女性側にも生まれるミソジニー
ミソジニーは男性だけでなく女性が持つこともあります。
自分自身が女性に生まれたことを嫌悪することもあれば他の女性を蔑視することもあります。
後者のパターンの一例としては保護と自立の対立が上げられます。
専業主婦vsキャリア女性
専業主婦とキャリア女性の価値観の対立は女性側のミソジニーとして説明できます。
「男性と同じ土俵で戦うなんて」という価値観と「今の時代に男に守ってもらうなんて」という価値観の対立です。
なぜこのような対立が起こるかというと潜在意識では互いに持つものを求めているからです。
専業主婦の中にはキャリアを得たいと思っている人もいますし、キャリア女性の中には誰かに守られたいと思っている人もいます。
後者については差別的に聞こえるかもしれませんが、人間を動物としてみた場合にはその体の構造から考えても女性(メス)は守られたいという欲求を持っているのは進化心理学的には自然なことなのです。
満たされないときに立場の入れ替えが起こる
ではどちらも手に入れた人はミソジニーを持たないのかといったらおそらくそうでしょう。
しかし両方を手に入れたように見える人でもどこかで満たされないことはあります。
そのとき様々に立場の入れ替えが起こります。
共働きで夫に愛されている人でも家事は全て担っているという場合には守られている側に立つことで自分の置かれた立場の正当性を確認したくなることもあります。
そして家事代行を依頼している女性に嫌悪を抱くこともあるのです。
このようにミソジニーとは男女に関係なく自分の価値や生き方に脅威や疑念が生じたときにその反発として生まれるものなのです。